創業以来、代表の金子が先頭に立って経営の旗振り役を務めてきたアイ・ケイ・ケイ。金子のほとばしる情熱こそが、これまでの成長の原動力だった。しかし、経営者として第一線を走り続けている金子も、2012年に60歳を迎えた。
「まだまだ現役の金子ですが、10年後には70歳を迎えます。このまま金子に頼ってばかりではだめだと真剣に思いましたね」
そう話すのは、30代にして取締役営業企画部長を務める菊池だ。最年少取締役として金子の傍らで経営を学んできた菊池だったが、これからは自分たちの世代がアイ・ケイ・ケイを牽引しなければならないと強く感じたという。
「10年先を見た時に、経営陣の世代交代も考えられます。永続企業を目指す私たちにとって、非常に重要な局面を迎えたのです」
と森田は言う。株式上場チームの一員として、2013年1月の東京証券取引所市場第一部上場の立役者となった森田。企業を永続させるという命題に対し、上場後に取り組むべき優先課題を整理しているところだった。森田は菊池に提案を投げかける。
「永続企業へ向けて成長を続けていくためには、より強固な組織を作りあげることが不可欠です。社員全員が同じ方向を向いて突き進めるよう、ビジョンを作り直してはいかがでしょうか?」
提案を受けた菊池は言う。
「当時ビジョンとして掲げていた『顧客満足度日本一』、『世界一のウェディング企業』という言葉自体は、社内に十分浸透していました。しかし、全員が具体的な未来をイメージできていたかと言えば、ノーだと思います。より具体的な言葉でビジョンを作り直すことで、社員全員の視線を統一できる。そんな可能性を感じました」
菊池は森田とともにビジョンの再定義を推し進める決意をする。菊池の頭の中には「次世代を担うメンバー主導で作ることに意味がある」という想いもあった。社内への提案書を作成し、経営陣の集まる定例会議の場で議題に上げた。
「これからの10年、アイ・ケイ・ケイが目指すビジョンを、次世代を担うメンバー主導で作らせてください」
金子をはじめとする経営陣からはすぐに賛同が得られ、ビジョン策定プロジェクトがスタートすることとなった。
二人は早速プロジェクトメンバーを集めていく。選出基準は、これからアイ・ケイ・ケイの中核を担っていく次世代のリーダー候補。熱い志と求心力を持つメンバーを各部門から選出し、声を掛けた。
プロジェクトメンバーに抜擢された人事課の山際は、当時を振り返る。
「自分たちがアイ・ケイ・ケイの未来を創っていかなければならない。『やらなければ』という使命感に燃えましたね」
プロジェクトメンバーは、菊池と森田を含む10名に決定した。
第一回目のミーティングは、一泊二日の合宿形式。日々の仕事を忘れて議論に集中できるよう、ウェディングとはかけ離れた海辺の民宿が舞台に選ばれた。朝から始まったミーティングでは、アイ・ケイ・ケイの10年後、その先にある20年後のビジョンについて、メンバーがそれぞれの立場から意見を出し合った。
「世界には形式的で簡素なウェディングしかない国もある。自分は海外を拠点に働き、世界に感動のウェディングを届けていきたい」
その言葉に、調理部の人財育成を担う田代が続く。
「私たちの使命は、新郎新婦様がゲストに振る舞いたいと思う料理を実現することです。感動を生む料理を世界へ届けるために、これからは自ら海外へ赴いて現地の料理人を育成する」
アイ・ケイ・ケイの新規出店のたび、支店の経理部門を立ち上げてきた永島も、自らの役割について語る。
「これまで以上に、お客さまへ感動を提供できる企業になっていかなければ意味がない。自分は裏方業務の仕組化を進め、現場のスタッフが感動を創ることに集中できる環境を整備していきたい」
熱い議論は深夜にまで及んだ。
二日目も朝から夕方まで各々の熱い想いを語り尽くし、二日間の合宿は幕を閉じた。
「メンバーは働く拠点や部門が違うので、普段から密に話ができているわけではありません。それでも、みんなの想いは一致していて、点と点がつながっていく感覚がありました」
そう振り返るのは、営業部門のスーパーバイザー桑本だ。社内に理念が浸透しているからこそ、全員の核となる考えは同じだったのだ。メンバーはミーティングを通して理念の大切さを改めて実感するとともに、みんなの想いをビジョンとして言語化することを誓い合った。
メンバーはそれぞれの拠点に戻り、日々の業務へ取り組む。合宿へ参加する前とは明らかに顔つきが変わり、朝礼や部下との会話では自然と未来を見据えた話をするようになっていた。 富山支店の支配人である髙野は、部下を前に言う。
「私たちは、もっと大きな感動を生み出すチームに成長できるはずです。感動には形がないからこそ、現状に満足することなく上を目指しつづけていきましょう」
スーパーバイザーとして衣裳部のレベルアップに努める近藤も、現場のメンバーに語りかけ士気を上げる。
「これからは世界を見て視野を広げ、10年後に『衣裳のアイ・ケイ・ケイ』と呼ばれていることが目標です」
合宿以降も、プロジェクトメンバーが定期的に集まり、ミーティングが重ねられた。
「これまでアイ・ケイ・ケイが辿ってきた軌跡を、今一度深く理解した方がいい。その延長線上にある必然のストーリーを、ビジョンとして言葉にすべきではないでしょうか」
菊池の問いかけにより、アイ・ケイ・ケイの歴史を改めて紐解くこととなる。金子はもとより、金子の母親にも話を伺い、アイ・ケイ・ケイの今日までの歩みを創業以前にまでさかのぼって整理していった。
「伊万里で1950年代より続く前身のホテルを拡大しながら、1982年にウェディング事業へ参入したのがアイ・ケイ・ケイの第一創業期。2000年に九州初のゲストハウスウェディング施設をオープンしたのを皮切りに、全国へ出た第二創業期。10年〜20年スパンで変化してきた歴史を考えると、今はまさに『第三創業期』。イノベーションを起こさなければならない時期なのです」
そう菊池は語る。
「企業が歩んできた歴史の中には、スピリットやフィロソフィーが詰まっている。自分たちが深く理解し、後世に継承していかなければなりません」
と山際が言う通り、アイ・ケイ・ケイの歴史を紐解いて整理した内容は「IKK Spirit & History 愛」という一冊の本にまとめられ、社員全員へ配られることとなった。
アイ・ケイ・ケイの歴史やスピリットを改めて深く理解した上で、ビジョン策定へ向けたミーティングは進んでいく。
「私たちが追求している『感動』の正体をみんなで探るなど、すごく深い部分にまで踏み込んだ話をしました」
そう髙野が語る通り、言葉を作り上げるために、全員が納得いくまで何度も議論を重ねた。
「社員のモチベーションが上がる言葉でないと意味がない」
「お客さまやパートナーの方々にも、アイ・ケイ・ケイの未来像が伝わるものにしよう」
「採用活動の場面でも、ビジョンを強く語っていきたい」
様々な意見を交しながら、メンバー全員の想いを集約していく。
そして、約10回のミーティングを経て、ビジョンがひとつの言葉として固まった。
プロジェクトメンバーで最年少の田中は、当時の心境を振り返る。
「これから進むべき未来を明確に想い描くことができて、ワクワクしましたね。その反面、ビジョンを必ず実現するために、自分自身の成長をもっと加速しなければならないという危機感も芽生えました」
次世代を担うメンバーで作り上げたビジョン。
金子はそこに込められた想いを十分に汲み取り、メンバーにはたった一言しか告げなかった。
「これを実現するのは、あなたたちです」
菊池は改めて身を引き締める。
「言葉として掲げたからには、実現しないと意味がない。自分自身、誰よりも挑戦するつもりで先頭を走り続ける。今、ここからが本番です」
2014年、出来上がったビジョンが社内外に発表された。また、理念浸透を目的としたアイ・ケイ・ケイで最も重要な社内研修の場で、歴史を紐解いた本とともに研修の題材として用いられることとなった。社員全員がアイ・ケイ・ケイの歴史やスピリット、これから向かうべきビジョンを深く理解することで、より強固な組織を作り上げていく。
お客さまの感動を創りつづける永続企業へ。
そこへ向けて掲げられた10年後、20年後のビジョンとともに、アイ・ケイ・ケイの新たな歴史の1ページが幕を開けた。