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PROJECT STORY IKKのチャレンジ

PROJECT STORY 03 IKKによる街づくり -感動創造企業として地方創生への挑戦- PROJECT STORY 03 IKKによる街づくり -感動創造企業として地方創生への挑戦-
2000年の鳥栖支店オープンを皮切りに、
綿密なマーケティング戦略と果敢なチャレンジで新規出店を繰り返し、
全国14都市16店舗でゲストハウスウェディングを展開しているアイ・ケイ・ケイ。
その歩みは、単なる婚礼施設の出店にとどまらず、
地域、行政を巻き込んだ街づくりへと、新たなステージに突入している。
広島、岡崎でのプロジェクトに深く関わってきた2人に話を聞いた。
KEY PERSONS
津田 智久 営業企画部 店舗開発課 課長
津田 智久 営業企画部 店舗開発課 課長
津田 智久 営業企画部 店舗開発課 課長
1999年入社。伊万里支店で営業を経験し、鳥栖支店の立ち上げに携わる。その後、福岡支店、金沢支店、本部の企画部、いわき支店を経て、現在は本部の営業企画部で主に新規事業に携わっている。アイ・ケイ・ケイが福岡へ新規出店する際には、福岡の候補地を調査・選定した。「日々、挑戦」をモットーに、会社の改善・改革に取り組むべく、常に業界内外の動向や最新情報にアンテナを張っている。
田村 多真美 広島支店 総支配人
田村 多真美 広島支店 総支配人
田村 多真美 広島支店 総支配人
2002 年入社。病院の臨床検査技師として活躍後にブライダル業界へと転身した異色の経歴をもつ。福岡支店でプロデューサー、プランナーを経験し、入社2年後には伊万里支店の支配人に抜擢。その後、大分支店、宮崎支店の支配人を歴任し、広島支店の立ち上げに参加。現在は総支配人として、広島、高知両支店のマネジメントを担当している。
CHAPTER 01 野球場を中心とした街づくりへのチャレンジ。 CHAPTER 01 野球場を中心とした街づくりへのチャレンジ。

福井、高知、いわき、佐世保など、現在アイ・ケイ・ケイが全国に展開する数々の施設に候補地選びから携わってきた津田が広島で新たな土地を探し始めたのは2012年のこと。これまでの新規出店事業で構築してきた情報網を駆使して、アイ・ケイ・ケイ中国エリア初の店舗として相応しい物件を見定めていたところ、広島市が所有する土地が候補として浮上してきた。

「物件探しは情報戦。不動産会社、建築会社、銀行、設計会社などに協力を依頼し、物件情報を集めます。物件紹介会社は数百にのぼり、その数、パイプの太さは、これまでのビジネスで培ってきた信頼関係の賜物ですね」

と津田は語る。

今回候補地となったのは「マツダスタジアム」に隣接し、広島市が計画する「広島ボールパークタウン整備事業」に組み込まれたエリア。野球場を軸に賑わいや人の交流を増やしていくという事業コンセプトに沿った施設運営が求められた。

「広島駅から近く、広島市民にとってシンボルともいえるマツダスタジアムの隣。候補地を視察した瞬間、ここしかない!と確信しましたね」

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とはいえ、広島ボールパークタウンという“一つの街”を創るプロジェクトは、津田にとっても初めての経験。今回の事業スキームは、広島市が所有する土地を不動産会社が購入し、アイ・ケイ・ケイが定期借地するという形になった。街づくり全体のコンセプト共有、コンセプトに合致するウェディング施設の計画、それに伴う市や不動産会との折衝など、無我夢中、暗中模索の毎日だったと振り返る。

「相手が自治体ですから細かな事務手続き一つにしても、対企業とは異なる大変さがあります。しかも、こちらは初めてなので慣れないことばかり。計画書を何度も作り直し、やっと市の許可を得る。そんな作業の繰り返しでした」

設計や内装、家具選びにいたるまで、新施設の具体的なイメージを最初に構築するのも津田の役割。入社以来、10施設以上の計画に関わってきた。「ララシャンスHIROSHIMA迎賓館」は、これまでのアイ・ケイ・ケイの施設では珍しい箱庭型のレイアウト。低層建築にすることで、スタジアムの景観を損なわないよう配慮した。また、モダンで直線的なデザインも特徴的で、植栽、芝生、舗装用ブロックなどの細部にいたるまで、スタジアム、そして、ボールパークタウン全体の調和を考えた造りになっている。

「地域の特性を知り、市場を調査し、競合他社を調べ上げ、自社の強みをどう作り上げていくか。その上で今回は、ボールパークタウン構想のコンセプトともマッチするか。数字や理屈は大切ですが、それだけに頼っていたら過去と同じものしか出来上がりません。ロジックと閃きを融合させることがポイントだと思いますね」

「ララシャンスHIROSHIMA迎賓館」は2015年3月にオープン。マツダスタジアムを中心に、広島カープの屋内練習場、大型商業施設、都市型マンション、スポーツクラブが集合した広島ボールパークタウンの一部として広島駅周辺に新たな賑わいを創出し、地域活性化に貢献している。

CHAPTER 02 スタッフ2名からのスタート。支配人の奮闘。 CHAPTER 02 スタッフ2名からのスタート。支配人の奮闘。

これまで3つの支店で支配人を歴任してきた田村が広島支店の立ち上げを任されることになったのは、オープンの約1年前のこと。施設は建設工事が始まったばかりで、仮サロンにプロデューサーと2名で配属された。

「突然の話でしたが、やってみたい!と、すぐに思いました。新たな支店の立ち上げ、それもまだアイ・ケイ・ケイの施設がない未開の地でゼロからスタートさせることは、自分にとっても新たなチャレンジ。ワクワクしていましたね」

未開の地とは、言い換えれば何のつてもないということ。現地スタッフの採用、写真や装花をはじめとするパートナーの選定、営業用ツールの作成、毎日があっという間に過ぎていった。

「やることが多すぎて、正直当時の記憶があまりないんです。建物や立地が申し分ないことは分かっていたので、後は私たちが中身を充実させるだけ。そんな使命感があったので、忙しくはありましたが、とにかく充実した日々でした」

そう語る田村だが、なかでもスタッフの採用には頭を悩ませた。「お客さまの感動のために」という経営理念を共有し、中国エリア初となる店舗でアイ・ケイ・ケイの新たな歴史を共に歩んでいける人財。オープン日は迫っていたが採用基準を高く設定し、決して妥協はしなかった。

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「最初は50名体制でのスタート。他支店からの転勤組も含め、若いスタッフが多い構成になりました。お客さまの感動を創るにはスタッフの成長が不可欠。そのために、まずはスタッフ一人ひとりを認め合い、やりがいをもって働ける環境を意識しました」

オープン前には設計会議が毎週行われ、工事の進捗状況、市や不動産会社との折衝状況などを確認。「広島ボールパークタウン」という新たな街づくりの一員として、地域に長く貢献できる店舗への想いを、津田をはじめとする営業企画部のメンバーと共有した。そこで田村が取り組んだのが、広島カープとのコラボレーション企画。招待状などのペーパーアイテム、ウェルカムボード、映像演出などで、球団公式のコラボツール使用を実現させた。

「おかげさまで球団コラボツールは注目を集め、お客さまから好評をいただいています。一般利用できるレストラン&バーも併設しているので、ウェディングだけではなく、試合の前後や試合のない日にも気軽に集っていただけていることが嬉しいですね」

2015年3月にオープンし、1年目は売上目標を達成。2年目も順調に推移している。それでも、これからが大切と田村は気を緩めない。

「お客さまには感謝しかありませんが、ビジネスの観点からすれば、新しい施設に人が集まるのは当然のこと。目新しさがなくなるこれからが勝負だと思っています。地域の皆さまに愛される施設として私たちにできることは何かを考え、挑戦を続けていきたいですね」

CHAPTER 03 次なるミッションは駅前の活性化。 CHAPTER 03 次なるミッションは駅前の活性化。

広島支店のプロジェクトと並行して、津田は愛知県岡崎市で「岡崎市シビックコア地区交流拠点整備事業」への参加準備を進めていた。この事業は、JR岡崎駅を中心としたエリアに民間建築物を誘導し、立地特性を活かした回遊性と賑わいある街づくりを進めるという計画。中部エリアへの進出を考えていたアイ・ケイ・ケイにとって魅力的な立地だった。

「市からはウェディングだけではなく、集客が期待できるコンベンションやバンケットへの対応、飲食、宿泊などの施設整備が求められていました。宿泊施設の建設はアイ・ケイ・ケイにとって前例のないこと。新たなチャレンジのスタートです」

広島の時と同じく、今回も行政が絡んだ街づくりプロジェクト。まずは公募で選ばれないことには何も始まらないが、岡崎市役所とのファーストコンタクトは決して芳しいものではなかったと津田は語る。

「岡崎市から見れば当社は九州の一企業。大手ゼネコンやデベロッパーに比べると、実績や規模で劣る面は否めません。そこで、まずは当社の『ハーバーテラスSASEBO迎賓館』を見学してもらうことにしました」

「ハーバーテラスSASEBO迎賓館」は複合商業施設「させぼ五番街」の中にあり、レストランは一般客の利用も可能。アイ・ケイ・ケイと地域が連携した施設作りの先行事例となる店舗である。岡崎市役所の担当者が見学に訪れたことで、徐々に潮目が変化。少しずつパートナーとして信頼され、より突っ込んだディスカッションができるようになっていった。それでも津田の気が休まることはなかったようだ。

「公募なので最後まで何があるか分かりません。選ばれなければ、これまでの準備が全て水の泡。過去に悔しい思いをした経験もあります。本当に選んでもらえるのか、不安で仕方ありませんでした」

2016年2月、アイ・ケイ・ケイは「岡崎市シビックコア地区交流拠点整備事業」の優先交渉権者に決定。2017年12月のオープンをめざして、建設準備が着々と進められている。

「最初は小さな接点だったものが、3年をかけて大きな街づくりへと繋がりましたが、プロジェクトはまだ始まったばかり。駅前に賑わいを創り出すという壮大なミッションを実現させるため、チャレンジは続きます」

岡崎のプロジェクトは、ボールパークタウン構想の一部を担う広島の案件から更に一歩進み、公共事業を全面的に委任される規模の大きなもの。宿泊施設を運営できるよう新たな定款を作成するなど、さまざまな交渉、手続きを経験したことは、アイ・ケイ・ケイとしても、津田個人としても、大きく成長するきっかけとなった。

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CHAPTER 04 1%でも可能性があれば決して諦めない。 CHAPTER 04 1%でも可能性があれば決して諦めない。

これまでに数々の新規出店に携わってきた津田が、常に候補地の選定基準としているのは「10年、20年先までお客さまの感動を創り続けることができるか」ということ。「企業経営を通じて地域社会に貢献する」というアイ・ケイ・ケイの基本方針を守るためには、わずか数年で撤退する店舗を作ることは許されないのだ。

「過去に手掛けた新規出店だけでなく他社の成功事例も検証し、成功要因を必ず3つ見つけるように心がけています。そうすることで、場所の見極めに関してかなりの自信がもてるようになりました」

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この場所に新規施設を建てると決めたら、あらゆる妥協を排して突き進む。津田が大切にしているのは「1%でも可能性があるなら諦めない」ということだ。この信念で行政との折衝など多くの困難に立ち向かってきた。

「1%の可能性を5%に広げれば、視野が広がり解決の道筋が見えてくるもの。そこから地道な努力を重ねれば、さらに可能性を広げることもできる。広島や岡崎をはじめとするプロジェクトの経験から学んだことです」

世界でたったひとつの結婚式を創り上げるウェディング企業から、街づくり、地域創生まで手掛ける感動創造カンパニーへ。それは、新郎新婦の幸せづくりから、地域の幸せ、街の幸せづくりへと、アイ・ケイ・ケイの使命が進化したことを意味する。その最前線に立つ津田と社長の金子は週に一度、会社のビジョンについてディスカッションする会議を実施。毎週、その場が楽しみで仕方ないと津田は語る。

「会議の場は社長と私の真剣勝負。進めているプロジェクトにGOサインをもらうため、意見を戦わせています。厳しい指摘もたくさんありますが、アイ・ケイ・ケイの未来について話し合うのは、有意義で楽しい時間です」

津田は現在も水面下で進行中のプロジェクトを複数掛け持ち、日本全国を飛び回っている。

「元々ゼロからイチを生み出す仕事が好きなんです。難しい分、達成した時のやりがいも大きいですから。アイ・ケイ・ケイは感動創造カンパニー。婚礼のノウハウを活かした街づくりや地方創生には、これからも積極的に取り組んでいきたいですね」

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